食器棚のオーダー「エアコン隠しの格子扉があるナラの食器棚」

2019.10.13

嵐が去った翌日、予定通りにSさんのお引渡しが行なわれました。
「昨日は大変でしたね。」内田さんや施工を担当された市丸さんやSさんご家族とそういう言葉を交わしました。
2日前まで、無事ここに来られるのかっていう心配が大きかったので、こうしてこの日を迎えることができて本当に安心したのです。
皆さん、ありがとうございました。

命を守る行動

2019.10.13

台風19号。数十年に一度の災害といわれる大きな台風でした。皆様の住む場所は大丈夫でしたか。無事にお過ごしだとよいのですが。
私たちは、自宅がある海老名市、会社がある寒川町、どちらも相模川が氾濫すると浸水地域に在るので、前日から準備が必要でした。前日の夜中には雨の中相模川の水位が上がるサイレンが数回鳴り響いていました。
上陸する当日は、おとうさんは食料と寝袋を持って会社で見守り番をしに、私と娘2人は自宅で過ごす予定にしていました。
午前中から携帯に緊急速報のアラームが幾度となく鳴り響き、次第に強まる雨風に家にいて大丈夫なのだろうか?と不安が募ってきました。
もし水が来ても2階で過ごせばいいと、必要なものを2階に運びました。お昼ご飯を食べて「上陸は17時~21時」そこを乗り切れば大丈夫と思っていましたが、ハルの同級生の男の子が川の様子を見に行った時の写真を見せてもらうと、河畔のいつもサッカーや野球の練習をしているグランドが全く見えなくなるくらい水没していました。その後、17時から城山ダムを放流するというニュースが流れてくると、もう家で過ごす気持ちはなくなってしまいました。始めは「まだ5ヶ月しか住んでいない新居。早々に離れてなるものか!守り通してやる!」と思っていたのですが、ダムの放流で水位は2~3メートルは上がるという話を聞いたら、「もうここから逃げよう。」という判断しかできませんでした。近所の友人とも「どうする?避難する?どこに行く?」と避難場所の水位も確認しながら、連絡を取り合いました。おとうさんとも話し合い、車もあるし今の雨風の状況なら相模原の実家まで行けるだろうということで、1階が浸水しても被害が少ないように、急いで家具や書類などを2階へ運べるだけ運び、私たちは相模原の実家に避難しました。放流時間は21時半に変わりましたが、寒川の会社にひとりでいるおとうさんが心配なので連絡を取り合いながら過ごしました。
台風が通過しダムの放流後の水位も確認し、会社の無事を確認したおとうさんが夜中に帰宅し家に何も被害がないことを知りました。(私は寝落ちしてしまったので正確には朝知りました。ごめんね、おとうさん。)
実家で朝ご飯を食べた後、家に戻り川の様子を見に行きました。
いつもは鮎釣りをしている人がいる穏やかな川。水位はだいぶ下がりましたがまだいつもよりは高く、濁った水が速く流れていました。グランドには流されたサッカーゴールや木が点在していました。こんなに青かったっけというくらい空は青く。はっきり見える丹沢の山々。この景色が好きで海老名市のこの場所に住むことを決めました。土地を購入するときにハザードマップも確認していましたが、川の近くに住むということはこういうことなのだと身に染みて良く分かりました。家族全員が無事で過ごせている今があることに感謝して、これからも暮らしていきたいと思います。

朝が来ました。

2019.10.13

結局自分では何もできないって少し諦めながら、日が沈んでから強くなった雨風が次第に弱まるなか、展示室のガラス越しに外の様子を眺めていたのです。

15時から始まって21時頃まで頑張れば大丈夫って言い聞かせて、一人工房におりました。
心の拠りどころって、家族だったり、家だったりするのでしょうけれど、私の中には長年通い続けたこの工房も拠りどころのひとつで、アイも居るし心配なのでした。
アキコや子供たちには心配をかけるけれど、「工房を見てくるね。」と言って、まだ降り方の弱いうちから家を出たのでした。
その時間になるまでは、「ちょっと雨風が強いなあ。」と思える程度で、時間を迎えても前回の台風を見ていたからか、それほど危なさを感じては居りませんでした。
アイもさすがに外に出ようとは思わないらしく、ただ風の音が怖かったようで、いつも怖い時に逃げ込んでしまうスピーカーの下で居眠りをしていたのでした。
危ぶんでいた倉庫の屋根もしっかりしていて、飛ぶ気配もなかったし、倉庫の雨漏りも大きなものになっていなくて、人も車のも通らない裏通りを眺めては工房の周りを見回しながら、ただただ時間が過ぎていくのを待っておりました。
その少し前にアキコたちは「念のためにここを出るね。」と女子3人で相模原のバアバの家に向かっていたので、何となく私とアイと男子2人きりの世界でポツンとした気持ちだったのです。
夜21時ごろの雨風が一番強い時にふとアイが居ないことに気がついて、ぐるりと展示室を見て回っていたら、玄関で足を組んで座り込んでいました。
「ねえねえ、ここから水が入ってきているよ。」と不思議そうにこちらを見ます。
展示室の玄関はちょうど外が吹きさらしになっているので、強い南風が雨粒を連れてサッシの隙間から入り込んでくるのでした。
ビュウビュウ風が戸を叩くたびにサッシの隙間の水がピシャピシャと踊るように水滴が跳ねあがってはレッドシダーの玄関の床に水たまりを作っていきます。
「ああ、いけないね。」と言いながら、バケツと水を持ってきて、吹いては入り込んでくる雨粒と格闘しているうちにふと風がやみました。
本当にふと思ったらピタッと風がやんでいたのでした。
雨は小降りでもうそこに怖さはなくって、アイも水たまりを見飽きたのか、嵐が過ぎていったのが分かったのか、おなかが減ったようでニャアと鳴きました。
ああ、良かったと思った先に、放流を行なうという通知が携帯電話に流れたのでした。
屋根が飛ぶのが心配だったわけですが、川の水位も心配だった私は、見回りする間にパソコンに移る水位をずっと見つめていました。
嵐が過ぎたら家に帰ろうと思っていたのですが、この放流の知らせが来て、ああ、もうダメかなって気持になってしまったのでした。
予想水位を見ると、自宅の北では堤防をあっという間に越えてしまい、自宅の南でも堤防ギリギリというところでした。
予想では真夜中に水がやってくるという。
水が来ちゃったらどうしようもないのですが、すでに家具は作業台の上にみんなで載せておいたので、床上40センチくらいまでなら大丈夫。でも、材料全てを上に上げるのは困難だったから、使えなくなっちゃうかな・・。
自宅は来月みんなに見てもらおうと思っていたのだけれど、ちょっと無理かな・・。
でも、きっと川は持ってくれるはず。
なんて気持ちがオロオロしながら、その時間を迎えたのでした。
そして大変ありがたいことに、川は持ってくれて、日付が変わる少し前から少しずつ予想水位が下がっていったのでした。
良かった。
夜中に無事帰宅し、女子3人とは会えないまま、朝を迎えてまたこうしてここに居るわけですが、アイがここに無事座っていられることに大変感謝しております。