影が色をつけている
「ナラ板目のセパレートの食器棚とパントリー」
世田谷 Y様
design:Yさん/daisuke imai
planning:daisuke imai
producer:hideaki kawakami
painting:iku nogami
Yさんからメールでご相談を頂いたのが、その年の2月に辻堂にある湘南T-SITEで私たちのキッチンを展示してもらえるイベントが控えていて、その準備に慌ただしい頃でした。
私の自宅の食器棚のレイアウトを参考にされていて、あとは経年変化で色濃くなってきたナラ材とくすんだ青いタイルが組み合わされた写真とイメージされている食器棚のスケッチを描いて送ってきてくださったのでした。
「スケッチ描いたことがないので下手になってしまいました。4歳の息子と寸法を測ったので、それもざっとという感じです。ご検討いただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。」
いいのです。絵の仕上がり具合は人それぞれですから。 どんなレイアウトでどんなものをしまいたくて、どんなふうに使っていきたいのか、それが分かれば、まずはその家具のきっかけをつかむことができますので。
それでさっそく私もYさんからのイメージを具体的に描いてみました。
自分で言うのもなんですが、スケッチは上手に描けているって思っております。(笑)
今まで実現できた形も実現しなかった形も含めて何百枚も描いてきましたから。描いているうちに何となくコツもつかめてきたりして。
もともと絵を描くのは好きでして、思い返すと一番印象に残っているのは、駒場のあたりに祖母が住んでいたのですが、そこから5分も歩くと井の頭線の線路際に出るのです。 そこから電車が通り過ぎる様を見るのがとても好きで、その時に(たしか小学生だったかな・・)ホームの上りと下りに電車が止まっている様子を描いたのを今でも覚えています。 その絵はどこかに行ってしまいましたが、今でも頭の中にずっと残っていて、あの絵は格好良かったよなあと今でも思い返すのです。
そのあとによく覚えているのは、小学校6年生の時に図工の授業で好きだった女の子と向かいになることができてお互いの顔を描くという授業でとてもうれしく描いた絵を先生に褒めてもらったことですね。(笑)
そのあとは、今でいう中二病というのかしら。
当時家で飼っていたハムスターが、夜中に外に出たくてカゴのフタをガリガリガリガリずっと噛んでいる様子が頭から離れなくて、それがヒントになった絵で、牢屋の向こうにまるでサーリネンのテーブルが大きくなったような大地があってその上に高層ビル群が立ち並んでいて、そこからキースへリングの絵の中に書かれているような人だちが大地で踊っているのですが、中にはテーブルの大地から足を踏み外してしまう人もいて、その人たちがテーブルから自由になれたけれど結局檻から出られないって絵を描いたら、先生に気になる絵だから作品を応募してみようかしらって言ってもらえたのですが、それがどうなったかは覚えていなくて。
そのあとには、数か月だけ(笑)通っていた大学で描いた平面構成という課題で、画面の奥にある丸い玉が手前にある鋼鉄の棒が絡み合った檻のようななったところに閉じ込められているという形の構成を描いたら、先生に「君の絵は気に障るよね。いい意味で気に障るよね。」と褒められたのかどうなのかを今でもよく覚えております。
さらにそのあとには、専門学校でたしか舞台のデザインだったような気もするのですが、どんな課題かすっかり忘れてしまったのですが、パソコンを使って表現する課題だったのです。あの頃はパソコンなんてほとんど触ったことがなかったものでしたので、何を思ったのか舞台をデザインするよりもその舞台で行なわれる劇のお話を考えてしまったことがありました。それをパラパラ漫画を描いたのを覚えております。
これがそのお話です。
長いですよ・・。
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昔々、この地にたどり着いた人たちは、一番立派な木のそばに家を建て始めました。家々は増え、やがて一つの村になりました。村の暮らしは貧しいですが、みな楽しく暮らしていました。
ある時、都で商売に失敗して財産を失った若い夫婦がこの村に辿り着きました。若夫婦は、気持ちも新たに家を建て、農地を開拓し新しい生活は始めました。貧しくもすがすがしい気分で毎日を過ごすうちにやがて村にみんなにも良くされて、良い生活を送ることができていました。
ただ一つ悩みがあったのです。それは、子供ができないことでした。若夫婦に一番気を使って世話をしてくれる隣家のおじいさんとおばあさんにはとても遅くに生まれたかわいい女の子がいました。畑作業をしているとその子
のかわいらしい姿が目に飛び込んできます。
「私らにもかわいい子供が欲しいねー。」
若夫婦は毎晩毎晩寂しそうにそう話すのでした。
ある時、村々を回っている芝居屋さんがやってきました。この芝居屋さんは傀儡(くぐつ)師さんと言って、人に似せて作ったすばらしいお人形を使っていろいろなお話劇をやってくれるのです。それまで村には大して楽しみがなかったものですから村のみんなは大喜び。連日芝居小屋は大賑わいです。
隣家のおじいさん一家も毎日の芝居を楽しみにやってきます。
若夫婦も毎日毎日楽しみにやってきて、しまいには農作業中にも堪えきれずに見に来るほどでした。
そして、ある晩、若夫婦の主人がこう言ったのです。
「わしらに子供ができないのは寂しいから、あの人に頼んで一つ人形をこしらえてもらおうかね。」
その意見を聞いたおかみさんは大喜びです。
さっそく二人は夜な夜な立派な人形になる木を探しに出かけます。
ふと気がついたのは、村のご神木です。
とても立派なその木は巨大です。
「このくらい大きな木なら枝の1本や2本頂戴しても痛くないだろうから。ご神木さんならきっといい人形になってくれるに違いない。」
そう言って二人は、一振りの枝を切り取って、その晩閉まっている芝居小屋に頼みこみに言ったのでした。
「そうですか、それはお辛い毎日ですね。立派な枝をお持ちくださったようですから、ぜひ素敵な人形をこしらえて差し上げます。」
そう言ってから、傀儡師さんは小屋を閉め切って誰にも会おうともしません。
どうしたろうと思って、若夫婦も何度となく足を運びますが、気配すらしません。
まさか小屋を引き払ってしまったのではないかと思い始めた7日7晩たった朝、外でマリをついて遊ぶ女の子の声がします。
二人が驚いて外に出ると、その子が「おとう、おかあ、おはよう。」と言いました。
まさかとは思いましたが、どうやら傀儡師さんはご神木でかわいい女の子を授けてくださったのです。お礼にと思って小屋に駆けつけますが、小屋は跡形もなく引き払われて誰もいませんでした。
「一体どうなっているんだろうね。」
二人はいぶかしげに思いましたが、かわいい女の子を授かってうれしい気持ちでいっぱいです。
「ありがとうね。」
毎日二人はこの子にそう言って大切に大切に育てました。
2年ほどそうした穏やかで幸せな暮らしが続いきました。毎年冬に見舞われていた吹雪もここ数年は止んでしまったようで冬の食料も豊富でした。若夫婦は自分たちと子供のために立派に働き睦まじく暮らしていました。
その頃から女の子がだんだんとたくさん食べるようになって来たのです。年頃と言うこともあるのかもしれませんが、ものすごい食欲です。大人の男でもかなわないくらい。
ご飯をたくさん食べたあとは決まって毬をついて歌を歌います。
そうすると、暑い夏であろうと、寒い冬であろうと女の子の周りにキツネやリスやイヌやネコやチョウチョウやコガネムシまでいろんな生き物が集まってきて、楽しそうに女の子の周りをくるくる回るのです。
そんな毎日を過ごすうちに、女の子の食欲で豊富だった食べ物がだんだんと追いつかなくなってきました。最初のうちは少しずつ量を減らしてしのいでいましたが、どうにも足らず、自分たちの分を削って子供に上げるのですが、女の子は「足りない、足りない。もっとおくれったら。」と言うのです。あれほどかわいがっていた子供になんと二人はだんだん愛想が尽きてきて、都暮らしのときに経験していた自分たちを守るためだけの暮らしを繰り返そうして、しまいには自分たちは残り少ない食料を少しずつ食べ、女の子にご飯をあげるのをやめてしまったのです。子供はだんだんとやせ衰え、踊りも歌も歌わなくなりました。
ある朝、女の子はずっと眠ってしまいました。
二人は少し泣きましたが、あまり寂しさを覚えませんでした。
それからしばらくして、ある時パタッと止んだ吹雪がやってきました。
村の皆は例年通りしばらくすれば止むだろうと思っていましたが、その吹雪は今までにないくらい強いもので1ヶ月、3ヶ月、半年経っても止みそうにありません。雪で家々が埋もれ始め、食料も尽き、だんだんと倒れている村人が出てきました。
優しいおじいさん、おばあさん家族も例外ではなく、唯一の宝である女の子を寒さからかばいながら息を引き取りました。村の動物たちも皆倒れていきました。
村で一番たくましかった若夫婦は、村の人たちがみんな倒れていくのをずっと見ていて、こう思ったのです。
「もしかして、わたしらの子が今までわたしらや村のみんなのために歌を歌って吹雪を鎮めてくれていたのではなかろうか。」
若夫婦もしばらくして二人抱き合いながら息を引き取りました。
村に残ったご神木だけがこの様子を静かに眺めていたのです。
おわり。
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このお話に合わせて、女の子が空から降ってきて、くるくる踊る姿を50枚くらいA5サイズの用紙に書いたのを覚えてあります。(まだどこかにあるかな。)
それを先生が面白いって言ってくれて、発表会のゲストに来て下さった映画監督の篠田正浩さんに見てもらえた思い出があります。
うーん、どれも懐かしい。
そういうわけで描くことは好きだったのです。
一時期、家具屋さんたちがこぞってCGで家具やお部屋の様子が分かるように表現し始めた時があって、ようやくCADに慣れてきた当時、これは遅れちゃいけないと思って頑張ったけれど、できたのはJW-CADの2.5次元止まりでしたね・・。
うーん自分には難しいやと思って、ちまちまですが本気で書き始めたのがその頃でしょうか。
専門学校に入る前に製図の勉強をして教わった平面図から平行定規で描くパースの描き方が今でも手に残っていて、それが役立っているのでしょうね。
おかげさまで、皆さんにはよく分かるって喜んで頂けますので、ありがたい技術なのです。
「イマイさま。
お返事が大変遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。
プランのご提案とそのスケッチをありがとうございます。とっても素晴らしいプランだと思いました。
吊り戸棚もシンプルに2枚、大賛成です。
噐が好きなので、食卓から好きな器が見えてるとうれしいなぁと思い、片方の引き戸は透明なものがいいかなと思ったところで、ガラスがいいかなと思ったのですが、アクリルもいいですね!
オープン棚もとってもいいです。
食器棚全体の奥行きができれば50センチくらいが、主人と行き来するときに通りやすいかなと思い、50センチ~52センチくらいがいいかなと思っています。
左のパントリーの位置ですが、よくよく考えたら、パントリーは冷蔵庫の横におくのではなく、一番手前、右手の方にした方がいいのか、、とか少し悩んでしまいました。
(ちょっとした本も収納できたらいいなと思って、リビングに近い方においた方がいいのか、それとも対面にはアイランドキッチンがあり、今、ラフでお書きしました、左側の冷蔵庫の前に背中合わせで、コンロがあるので、位置は冷蔵庫の横が使いやすいのか?という点とお鍋を収納する場所がスライドのワイヤー式のタイプも私の性格上、使いやすいのかな?と思いました。
あと、ゴミ箱のことを考えていなくって、パントリーの中にゴミ箱って置けますでしょうか。」
と、スケッチの印象を見て頂いてお話が具体的に進んでいくのでした。
では、さらにYさんのご要望をお聞きしようというところで、湘南T-SITEのイベントが始まったのです。
そこでも皆さんに見て頂こうとスケッチブックを持ち込んだのですが、おじ様たちに思った以上に見て頂けて、「いやあ、スケール感があってるよね。」と言ってもらえたり、(たいへんうれしい!)している中に突然、あれっ、見たことのある人だなと思っていたら、「イマイさん、Yです。」と声を掛けてくださって、つい2週間前にショールームまで打ち合わせに来てくれたYさんご家族でした。
「イマイさんのイベントの様子見てみたいと思って、来てしまいました。」ということで、世田谷からわざわざ来て下さったとのこと。
この場所でも先日に引き続きいろいろと打ち合わせをさせて頂いて段々とお話はまとまっていったのでした。
勾配天井になっている部分をどのように見せる形が一番すっきりして見えるか、パントリーの距離とご家族皆さんの動線はどのように取ると一番ストレスなく動きやすいか、などなど、スケッチでは伝わりにくい、実際の感覚をお話しながら決めていったのでした。
そして、おおよそお話がまとまったところで、次回はご自宅にお伺いして打ち合わせさせて頂くことに。
この時点でおおよそのお話はまとまっておりましたので、設置場所の確認と、今お使いの家電やしまいたいものを拝見させて頂くことと、搬入に問題がないかどうかという点を主に確認するためにお伺いしました。
Yさんのお宅は住宅街の中の込み入った立地に建っておりました。間口が狭くて奥行きの広い建物でしたので、なかなか搬入が難しそうです。
お邪魔します、と2階のリビングに案内させて頂くと、冷気除けのために廊下から階下に降りる手前に大きなガラスの扉が付いています。
うーんこれはやはり難しそう・・。
そして、設置場所へ。
暮らしながら家具を買い足してきたようで、収納はそこそこあるのですが、物がしまい切れていないので、物の上に物が重なってしまっている状態でした。
うーん、全部納まるかな。という心配も出てきました。
勾配天井はベニヤを持参してきたのでうまく勾配を実測できたので解決できそうでしたが、搬入と収納量がうまくいくか心配ではありましたが、しまうものとしまう場所をある程度確認できまして、あとは暮らしに必要な物を取捨選択してくださるということでひとまず落着。
搬入は気をもんでいても仕方ないのでお天気任せです。
「これでひと通り確認できましたので、図面を修正したらまたお送りしますね。」
「はい、ありがとうございました。楽しみにしています。」
ということで、自宅での打ち合わせと採寸も無事に済んで、形がほぼ決まりましたので、最終の確認のために図面を送らせて頂きました。これで確認を頂ければ制作に取り掛かれますね。
ところが、それからなぜか音信不通になってしまいまして・・。
なぜかメールをお送りしても返信が無く、お電話してもつながらなくて・・。
これは、また以前のように残念なことになってしまうのかな・・。と淋しい気持ちがよぎります。
以前にもこのような流れでお話が立ち消えになってしまったことは何度もありました。
そうなった方々のそのあとのことは分からないのですが、過去に1,2度私が考えた形すっかりそのまま、少し知っている間柄の家具屋さんのホームページに写真が載っていたことがあって。
その時は自分の作品が奪われてしまったようでとても淋しい気持ちになったので、ああいう気持ちはイヤだなあと常日頃から思っているのです。
でも、選ぶのは相談してくださったその方自身ですので、私たちのところにも別の家具屋さんが描いてくださっただろう図面をお送りくださる方々はいらっしゃいますし、それは自然なことだと思っています。
ですが、それをそのままその形で制作するのはその形を考えた方に大変失礼ですので、それは最初のきっかけとして拝見させて頂くに留めて、そこからは私とその方とでオリジナルの形を探っていくという方法を採っているのですが、そのきっかけとして他の場所で活用されるというのも、あまりうれしくないものですよね。
と、何だか残念な気持ちで2,3ヶ月経つうちに相変わらず連絡もつながらないものですから、図面や見積も処分してしまったのでした。
そして、すっかりYさんのことを忘れてしまっていた4か月ほど経った頃・・。
突然、ご主人から突然メールを頂いたのでした。
「このたびはご連絡が遅くなりまして、大変申し訳ございませんでした。」という形でお話が再開されることになったのでした。
このブランクが何だったのかはいまだに分からないのですが、この先はなぜかご主人とメールのやり取りをすることに。
何か私が奥様に悪いことを言ってしまったかしら・・。
とりあえず、処分した図面をシュレッダーにかけられる前の箱の中からどうにか救い出して、再びやり取り再開。
ここからは話がトントンと進んで、吊戸棚と天板の間の背面の壁にタイルを張りたいということで、kotiさんにも仕事に入って頂いて、制作・設置工事と無事に終了したのでした。
設置工事もパントリーだけは大きかったので、外からの荷揚げとなりましたが、あとは無事に階段から搬入できて、パントリーの最上部の屋根勾配に合わせた部分も大きな加工をする必要なく納めることができてひと安心。
これで胸を撫で下ろすることができました。
「イマイさま。
お世話になっております。
本日はありがとうございました。
さきほど作業、搬入終わられて帰られました。
3人できれいに片付けをしながら段取りよく作業を進めていただき、とても気持ちよかったです!
食器棚のできあがりも予想以上で大変感動しました!」
と、奥様。
「イマイさま。
お世話になっております。
メンテナンスや細かいアドバイスに大変感謝しております。
私自身は普段、家具などは妻にまかっせきりでしたが、今回をきっかけに、少し興味を持ち始め、あの時イマイさんが息子の椅子をやすりをかけてくださって、きれいな木目になった姿を見て、木に躍動感を復活したような感覚を受けました。
ありがとうございます。
また、何かわからないことがありましたら、ご連絡をさせていただきます。
よろしくお願いします。」
と、ご主人。
お二人からも気持ち良いお返事を頂けまして、ひと安心。
あとはこの食器棚に合わせて、システムキッチンのダイニング側の扉もナラで作り変えて、ダイニングからの印象をナラ材で整えたいというお話が出ておりますが、そのお返事が来るのはやはりまただいぶ先なのでしょう。
今度はそのプランをきちんと保管しておきますので、またお声掛けくださいね。
ありがとうございました。
ナラ板目のセパレートの食器棚とパントリー
価格:1,040,000円(制作費・塗装費)
*運送搬入費・取付工事費が別に掛かります。
(目安として、運送搬入費は30,000円から、取付施工費は60,000円から)