
日曜日は目覚ましをかけない
2025.09.17
日曜日、日の出を迎えたばかりの朝の風は少し涼やかになっておりました。
自転車道のクツワムシたちを見かけることはなくなったのですが、かわりに立派なイモムシたちが道路を横断するのですが、気づかぬ通行人たちは、ああ、容赦なく彼らの生を断ち切ります。
9月の初めにアイが風のようにふわっと亡くなってしまってから少し時間が経ちました。
4年前に母がなくなってからはアイの世話を父に頼むのは大変だろうと(実家にも大きな猫たちが居るのです)、自慢ではないが正月だろうと、少し体調が悪かろうと、毎日工房に出かけてはアイのご飯をあげて彼の顔を見続けてきました。
彼は彼、私は私で、お互い自分の時間の中で生きていられれば良いなんて思い続けていましたが、やはり顔を見ないとどこか心配だったのです。
私はアイが好きだったのです。
遠くに出かける時やひどく体調が悪い時は朝だけ工房に顔を出して、あとはスタッフのみんなや父に手伝ってもらったのだけれど、毎日こうして顔を見ていたものだから、急に居なくなってしまうというのは、やはりとても落ち着かなくてつらいものです。
事務所のアルミ戸が時々カリカリと音を立てるような気がする。覗いてみるけれどもちろんアイは居ないよね。腕を伸ばした植木鉢の木々たちが風に揺られて戸をこすっただけのよう。そんなことは分かっていたけれど、何となく見ちゃうよね。
先日、お寺でアイのお葬式をしてきました。
これできちんとお別れの挨拶ができただろうと思っていたけれど、ふとよく寝ていたショールームの奥の机の下をやはり覗いてしまうよね。
でも、彼の夏の抜け毛はまだそこでそよそよしていて、もう少し奥を覗くといつものように寝ているんじゃないだろうか・・。
ごめんね、だからもう私は日曜日の朝の目覚ましはかけないよ。
