ただしい声をした鳥

2019.01.16

ある夜、淋しい夢を見たような気がして流れた涙を伝う感触と、その淋しさで大きく肩をふるわせながら目を覚ましたタルベルの佇む窓辺に、深い夜でもはっきりとした青い羽根をもった低くただしい声をした鳥がやってきてこういうのでした。
「タルベル、私も淋しい夢を見ました。一人になってしまって、風と一緒に飛んでいくみんなの後を追いかけて、夜のなかを飛んでいたのです。
やがて空が白んでくるころ、ふと気が付くと私のほうがずっと先を飛んでいました。
強い思いは自分の目をくらましてしまうこともありますが、自分を大きく前に向かわせてくれます。私はあの夜、危うく大きな空の向こうに落ちてしまうところでしたが、お日様が私の目を覚ましてくれて、皆のもとに戻ることができました。あなたが見た淋しさは、きっとあなたを強くしてくれますよ。」

青い羽根が朝日を浴びてまるで銅色に輝き始めた正しい声の鳥のさえずりを心地よく聞いていたタルベルは見つめていた西の空からただしい声をした鳥のほうに顔を向けるとこう言いました。
「ありがとうございます。気持ちが正しくなりました。ごきげんよう、さようなら。」

ただしい声をした鳥は、この冬が終わりを告げて春がやってくることを教えてくれたのでした。
タルベルはもう居ません。

晴れ間

2018.06.19

人の気持ちは移ろいやすいものですからね。
朝起きて空が暗ければ、気持ちのトーンも少しは落ちるというもの。こういう梅雨の合間にでる晴れの日はご褒美のようにうれしくていつも以上に気持ちが軽やかになるものです。
心持もそう。
きっと毎日が晴れやかな日々よりも、時折どんよりなくらいがちょうど良いのかもしれません。
そうすると毎日が新鮮でもっと晴れやかな日を見たいって思える気持ちが強くなる。

彼方に見える希望や夢もそう。
長い冬が明けて迎える春もそう。

でも、少しずつ自分が前に進んでいるって実感がなくなったら、やっぱり止まっちゃうのだろうね。
その止まった時は、自分が満足して止まれているのか、否応なしに止まってしまったのか、人ってまわりから支えられている中でささやかな自分がいるわけですので、その理由はなかなか自分では分からないのですが、いずれにしてもそうなる時が来ても、自分で決めたのだって胸張って言えるくらいまっすぐ進んでいこうと、晴れた空を見ると思えるのです。

きもちの循環

2018.04.05

こういうちょっと変わったものを作らせて頂く機会があります。
私たちのもの作りの考え方や取り組み方を評価してくださってわざわざいらしてくださる皆さんがいてくれます。

今日は中学校の入学式でした。

「今年はみんなに迷惑をかけるかも知れません。」
スタッフのみんなにそう話していたように、この4月から慌ただしくなりました。再び子供たちがいる場所に顔を出す役を務めることになりました。
今年は来賓として参加させて頂いたのですが、ついこの前卒業した子供たちが少し大きな制服を着てとても立派に背筋を伸ばしてここに座っている。
そういう子供たちの晴れ晴れした節目に立ち会えること、とてもありがたいことです。
式の後、上級生からの贈り物として歌が披露されるのですが、昨年は私たちが聞かせて頂く立場でしたが、今年はハルカたち上級生が新一年生たちに披露する番です。
早いなあ。
そして、子供の成長は素晴らしいなあ。透き通る歌声に久しぶりに胸が高鳴りました。
昨日まで近所の上級生を〇〇のお姉ちゃんと呼んでいたのが、その日を境に〇〇先輩になり、それがもう後輩ができる立場になって。
私は娘に何かしてあげられただろうか・・。
どんどんといろんなことを吸収して、自分のもとから離れてしまうようで立派な様がどこか淋しく感じながら歌を聞かせてもらいました。
ビバ、中学生。
君たちは、自分の信じた道を進んでいるけれど、私たちはここからそっと見ています。

自分が中学の時はまわりの大人がどんなことをしているのかなんて良く分からなかった。
でもね、やっぱり君たちは自分だけで育っているように思えても、みんながいて大きくなっていくし、君たちがいてまわりも輝いていく。
先日、校長先生が無事に退任されるということで、自治会長さんたちの集まりに私もお声掛け頂いて参加してきたのです。
まわりはもう私から見るとおじいさんばかりだけれど、みんな私などよりもっと元気で、もっとこの町や子供たちのことを一生懸命に考えていて、先生たちもそれがうれしそうで、いい町にいるなあって、飲んではつがれるお酒を頂き、フラフラになりながらしみじみ思ったのです。
そういう町に居るから、そういう人たちに応えられるようになりたいって思えるし、子供たちもいつの間にかそういう気持ちを心のどこかで感じてくれているといいなって思っている。
そして、それが社会に出てから、きっとみんなのために応えることで自分がもっと輝いていられるってことに気づいてほしいなと思っている。

すてきなきもちの循環があるのですよ。
たくましくしなやかに大きくなれ。

明日もみんなには迷惑を掛けますが、よろしくお願いします。

カップのこわい顔

2018.03.13

子供のころ、祖母の家に行くのが怖いことがあったのです。

祖母の家は両方とも都内にあったので、私にとっては野山を駆け巡るじいちゃんばあちゃんちというのがうらやましかったのですが、それでも時々しか訪れることができない祖母の家は子供心にワクワクするのでした。
父方の祖母の家のだいぶ前から物置になってしまった部屋には縁側を通っていかないといけないのですが、そこに入ると古い匂いがして、日は入っては来ますし、すぐにみんながいる隣の部屋に行けるのですが、なぜかみんなの声が少し遠く聞こえていて別の世界のようでした。
でも、この部屋にたどり着くための縁側に出る前にお仏壇がある部屋(ここがいつも私たちが遊びに来ると寝泊まりする部屋なのです)を通るのですが、この部屋に子供心にとても怖いカップがあったのでした。
カップ?と、周りに話すとくすっと笑われてしまうのですが、小学校の自分にはとても恐ろしいカップでした。
普通のマグカップにまつげが長くて真ん丸な目が大きく描かれていて、その下には厚ぼったい唇が描かれているカップ。
この部屋に入ってそのカップが正面を向いていると、もう私は恐ろしくて恐ろしくて、おいおい母にすがって泣いていたものでした。
そんな私の様子を見て、両親は時々いたずらするようにカップを動かしたりするのですが、それがもう何だかよく分からないけれどこわいこわい。
弟は全くそんなことなくケロッとしているので、まったく情けない兄でしたが、あのカップはどこに行ったのだろうか。
きっとあの大きなギラギラした目が怖かったのだろうなあ。

私が子供の時分はこうして暗くてよく分からなかったり、自分では理解できないものに漠然と畏怖の感情を持ったりしていたのですが、今ではかなりいろいろなことが分かってしまう世の中になりました。
わが娘たちは、まだ暗い部屋をきちんと怖がってくれるので安心です。

「悪いことをすると、押し入れのお化けが連れに来るよ。」
そういう漠然とした怖さってとても大切な感覚ですので、それを忘れないようにしたいなあとカップを見つめながら思うのです。

引き戸の魅力

2018.03.06

2018030600120180306003「やっぱり開き扉よりも引き戸にして良かったです。」Fさんのお宅を訪ねた時にそう言われました。
Fさんのキッチンは独立したキッチン。子供の時分に昔懐かしかった母親がこもるようにして料理の支度をしたキッチンにあこがれていたのだそうです。
ちょっと狭いけれど使い勝手が良くて、あれこれ使うものが自分の手の届くところにあるキッチン。そういう形を描いたときに食器棚の戸棚は自然と引き戸になったのです。
調理中は、戸棚の扉を開けておいて使いたい。そのほうが物がひとめで見渡せて、出し入れもしやすいし、終わったらシュッと閉めちゃえばよいし。
そうか、引き戸の魅力はそういうところにあったのですね。開き扉も観音開きなら同じくらい開け放しておけるのにその違いって何だろう、っていまいち気づいていないところがありました。「開け放しにしておけること」が魅力だったのですね。いまさらながら、皆さんからいただくお話はとても勉強になります。
だから、戸棚の中も開け放しにしておいても気持ちの良い仕上がりや手触りがよいなあ。Fさんとそんなお話になりました。
その影響でしょうか、ここ最近そういう見せ方にされたい、という皆さんも増えてきています。
外側と同じ素材にしたり、あえて色を変えて中の棚を作ったり。注文家具だからこそできる表現の方法ってまだまだたくさんあるなあと気づかされる毎日です。

香りの引き出し

2018.02.19

家具をいろいろと考える中でよく悩むことの中に引き出しがあります。
この引き出しには何を入れよう、ここはこのくらいの深さがいいなあ、そんな楽しい思いも一緒にしまおうとするくらいみなさん笑顔で悩む家具の中でもすてきな部分でもあります。

私が引き出しで思い出す中の一つにチークの小箱があります。
思い出す限り、私がきちんとした木工工作をした最初の頃のように思えます。
当時の私は小学校4年生で、担任の先生が確か退任されることなったのだと思います。厳しいけれど優しい先生で私たちから見ると、おばあちゃんという感じだったかな。
仲の良かった数人で何か贈りものをしよう、ということになり、じゃあ小物入れを作ろう、ということになったのでした。
当時まだ父は家具作りの仕事をしていたわけではなかったし、図工で木工をしたこともなかったので、何かを見よう見まねでみんなで作ったのだと思います。
今でいうとB5サイズくらいの大きさで高さ10センチくらいの大きさだったかなと記憶しています。
そこに皆で思い思いの絵を描いて、フタと引き出しがついた物入れができあがったのでした。
箱の中に箱がある引き出しを作ることができたということがすごいことをしたんだって気持ちでうれしくて、さっそくプレゼントしようと気持ちが軽やかになったのでした。

よし、では先生にさっそくあげて喜んでもらえればめでたしめでたしとなったのでしょうけれど、ここから何だかあまり覚えがなくて、先生が退任された後も、我が家のサイドボードの中にじっと居座ったままだったのでした。
何故だろうと、今思い起こすと先生は立派すぎて遠慮してもらってくれなかったような記憶がおぼろげに・・。
それでみんなで少ししょんぼりしていたような気持ちがしていたのをなんとなく思い出すのです。
でもね、それからしばらくはサイドボードを開けると、父が綺麗に保管していたレコード針のちょっと金属の香りと、チークの強い香りがふわっと漂ってきて、あの頃住んでいた田の字型の狭い団地の今を思い出すのです。

文字盤のない時計

2018.02.18

キッチンを作らせて頂くことになったNさんから、時計を作ってほしいと相談を頂いたことがありました。
「時計ですか・・。」
仕事で時計なんて作ることがなかったし、街中すてきな時計やもちろん木でできた時計もある。
いまさら私たちが作ることでNさんにとってどういった魅力があるのか、ということがなかなか当時は分からなかったのです。

「時計といっても、あの時間の数字、文字盤が普通は入っているじゃないですか。それは要らないのです。」
「なるほど・・。」
当時キッチンのほかに円卓、丸い座面のキッチンスツールの製作を依頼頂いていたので、その素材や形状に合わせた時計が欲しかったことと、何よりも文字盤は要らないということが大切なことだったのでした。
「キッチンに立っていて、ふと顔を上げた時に長針と短針がどのあたりを指しているのかがなんとなく分かればいいんです。かえってきちんとした時間が分からなくてよいくらい。」
文字盤のない時計か・・。
当時はなんでだろうって思いながら、同じタモ材を用意してムーブメントを用意して、せめて何となく時間が分かるようにと、目の詰んだ柾目材で作らせて頂きました。(写真の時計は板目ですが・・。)

でも、今になって何となく分かってきました。
全部がひとめではっきり見えてしまうと、全部がはっきりわかるまで物事を進めないといけないという気持ちになったりします。
でも、あいまいなで見えにくい部分があると私たちは自分でイメージして考えるのですよね。
本を読んでいる時に思い描いた風景と、映画で見た時に現れた風景の違いのように。
そういうゆったりした時間の移ろいが、「ああ、そろそろ子どもたちが帰ってくる時間だな。」とか「そろそろ洗濯物取り込もうかしら」とか次を考えるための余裕が生まれるというか。
何というか言葉が足りなくてすみません。
そろそろって思える気持ちに、余裕があるのだなってあらためて思うのです。

日も暮れて鳥たちもだんだん森へ帰ってしまって虫たちが鳴き始めたから、そろそろ寝ないといけないよ。とか、そういう時間の見つめ方っていいなって。時間を見て過ごすのではなく、自分の時間を知って過ごすって。

そういう感じが大切だって思えるようになってきたのです。

光が射し込む

2018.02.17

先日内覧会に同席させて頂いたNさんが私たちの家具を見てみたい、ということで今日いらしてくださいます。
うちはアイがゴロゴロするので、カーペットがすぐに毛だらけになっちゃう。
まずは掃除から。

ここ最近、家についてよく考える機会があって、皆さんの暮らしをいつも一緒に考えているつもりではいたのですが、実際に家具を家に迎えること、新しい家に住むことってとても大変だけれどとても素晴らしいことなんだってあらためて気づかされる機会でした。
少し早く帰れる日は、小学校3年生のチアキ(次女です。)がいろいろと話してくれます。とりとめのない話だけれどもいっぱい話したいことがあるっていいね。
お姉ちゃんは中学校に入ってしまうとすっかり大人びて、言葉は少なくなってしまったように思えますが、相変わらず素直な笑顔をしています。
こういう時間が心地良いんだなって、あらためて思うのです。
日は昇り、また沈む。

そういう過ごし方ができるよう私たちはお手伝いするのだってあらためて気づかされました。

今日はきっとチビッ子も来るだろうから、おもちゃの場所をきれいにしておかないと。
まずは掃除から。

雲見

2018.01.17

久しぶりにもくもくと雲が出てきた。
雲を見てはじめて空の高さを知ることができる。

プゥ

2017.12.21

チアキが小さい時に、アキコがこう言っていました。
「おとうさんはチィちゃんのことを何でプーちゃんって呼ぶの。」って。
アキコは、「プーちゃんの「プ」はプリンセスの「プ」だよ。」って伝えたそうです。
ただ、可愛らしい子にはプゥちゃんって愛称で呼んでいたのは内緒。
ハルカも小さい時はプゥちゃんて呼ばれていたし、今ではこの仔がプゥ。

おやつのじかん

2017.09.20

15時だ。
顔を上げると空がどんよりしているね。
寒川や海老名と言う町は少し風の流れが違うようで、天気もめまぐるしかったりします。
雨が降るのだろうか・・。
こういう日は、いろいろ考えてしまうよね。

自分に何が必要で、自分はどう必要とされているのか・・。
先日、納品が終わったお客様からお便りを頂きました。
「ずっと憧れていた・・」って書かれていてうれしい半面、自分はみんなの期待に応えられているのかな、って自分に聞いてみる、こういう日はね。

小学校3年生のチアキは「雨は好きだよ。」って言っていた。
「ほんと?チィは雨好きだったんだ。」
「うん、だってピチピチ音が気持ちいいでしょ。」

そうか、気分が良いか、それはいいなあ。

丘の夢

2017.08.21

たしか昔、友人と夏の伊豆の松崎町に出掛けた時だったと思うのです。
日差しが強くて、影がはっきり黒くて、日に照らされた葉っぱたちは本当はみどり色なのに、淡いきみどり色に見える。そんな日だったと思います。
暑いはずなのに、風がそよ吹くと心地良くて、涼しげな気持ちになったように思えます。
でもこの場所が思い出なのか夢なのかが今ではもうよく分からないところなのですが、今でも夢のなかで時々現れては自分を落ち着かせてくれるのです。
夢のなかでは夏ではなくて、初夏です。
人は居ないけれど、小さな虫たちは飛んでいて、小鳥がチククって鳴く声は遠くに聞こえて。
一人だけど淋しくなくて、木陰や草むらの向こうでみんながおしゃべりしているような場所。
テリ・ワイフェンバックさんの写真を見た時に夢で見た場所が写り込んでいたようでぜひ見てみたかったのです。

と言うわけで日曜日は娘たちも連れだして、長泉町のクレマチスの丘まで。
実際に見る彼女の作品は、静かに佇んでいるというよりはそのぼかした景色のずっと奥でやさしく躍動感にあふれていたのでした。

ゆきどまりの庭

2017.05.26

ゆきどまりの庭は緑が鮮やかです。
淡い緑から少しずつ深みを増して、向こうのほうではこんもりと茂って遠くが見渡せないくらい。
ここには誰も居りません。
温かな春の午後のような陽射しがあたりにスゥッと広がっていて、目をとじるとふわりと毛布が私を包むようです。
チョウは飛んでおりました。テントウムシも後ろからやってきて向こうへフーッと行き過ぎていきます。
でも他には誰もいない。
ネコも居ないし、友人も来ていない。
そもそも入り口がありませんもの。
でもね、ここでキシキシ音がする少しささくれた椅子に座って黙って目をつむってあたたかな紅茶を飲んでいると、こそこそします。
風の音かしら。
こっそりと気配があります。
まるで、みんなが真夏の午後の気だるい空気から一歩退いて涼しい木陰で休んでおしゃべりしているように、姿はないし声もないのですがこそこそとそこかしこでみんなが生き生きとしている様子が分かります。
みんながみんな楽しそうに暖かそうにおしゃべりしている様子が目をつむると、浮かんできます。
おや、今あちらの片隅ですらっとした人が通り過ぎましたか。

誰も居ないのにみんなが居てくれて温かいから、淋しくないし、気分よく私もここでお茶を飲んでいます。

そういう夢でしょうか。

テリーワイフェンバックさんの写真展が開かれているそうです。

わたしの「ゆきどまりの庭」があるかも知れません。

精製

2016.11.11

精製と言う言葉が正しいかどうか分かりませんが、これはおが屑です。
丸々と太い幹は、その過程で板に切り分けられていきます。
板になった木は乾き、ねじれ、安定しようとします。時には、切ろうとするとしぶきが上がる木だってある。木はたくさん水を蓄えるのです。
その木が切られてよじれて安定した姿はもう真っ直ぐではありません。
家具はその板を使って作られるのです。
半ば安定した材を頂いて、私たちはそれをさらに平らな状態へと加工していくのです。
丸太だった板から製材される板はいったいどのくらいになってしまうのか。それほど多くは残らないです。
おが屑もさっきまでは木でした。
そういう過程を経て木がはじめて板になっていくのです。
ものを作る能力を授かった人間は、自分たちの暮らしをより良いものにしたいという気持ちで作ることを始めたのですが、作ったその先を見ながら歩いていかないといけないね。
私たちは作った責任があるのですから。