働く大人の考え方に触れる時間

2022.11.17

工房に中学2年の二人が来てくれている間に、私とタケイシさんとお昼過ぎから中学3年生の授業に。

「つながりプロジェクト」というプログラムに参加させて頂きました。

やはり話すのは難しいよね。

いろいろと考えていったのですが、すべて伝わったかなあ。でも、みんな楽しそうに過ごしてもらえたからマル。

私の経験してきたことや感じてきたことを話したり、何か体験という形にできたらと思いまして、2つのワークショップを開きました。

1つ目のワークショップは、当たり前のことだけれどすべてのものは自然の物から生まれているよ、という意味を込めて、いろいろな樹種のコースターを鉄染めする教室。それぞれの木の匂いや沸騰したお酢の匂いや鉄釘の錆びた匂い。鉄媒染液と木々が反応して、色がどんどん深くなっていく様子。色がにじむ様子やぼける様子が表情になっていく楽しさなどが分かってもらえたら、私はそれで満足。

今、中学生の子供たちのまわりには、とても便利に思えるものが身近に手に触れることができる時代。でもそれは初めからスマートフォンだったわけではなく、初めからA4の様子だったわけではなく、初めから黒字に赤いラインの入ったジャージだったわけではなく、素材があって人の手が入って初めてモノとなっていく。着るものも食べるものも住むところも全て人がひとつずつ作ってきたもので、物を作ることができる能力があるということはとても素晴らしいことで、そういうふうに工夫しながら生きていく姿が美しいのだよね、ということが分かってもらえたら大満足。

続いては、私が皆さんの家具を作るなかで感じてきた「家具を作るだけではなく、その人の暮らしを考えていくことができる楽しさ」を感じてもらえたらというワークショップ。

私はスケッチを描いて家具を表現することが多いので、そのスケッチを通じてみんなにも何か感じ取ってもらえたらなあ、という思いを込めて。

まずは立体を描く課題。スケッチを描くうえでは目に見えない消失点があってそこに向かって線をつなげていくと立体が浮かび上がってきます。という練習課題を経てもらってから本題に入ろうかと思ったのですが、このシンプルな立体を描くことがなかなか難しく、また楽しくなってしまって、本題に入ってからも、立体で表現することが重点になってしまって、本題である「形を考えてもらう楽しさや考える楽しさ」まではつかみづらかったかもしれません。

そもそもクライアント役も設計役もクラスメイト同士となると、最初っから楽しいものね。

終始笑い声が絶えない時間になりましたが、お互い話をすることで形がまとまっていく、暮らしが広がっていく楽しさが少しでも分かってもらえたらうれしいなあ。

という感じで、無事終了。

タケイシさんにも自分でこしらえたコースターを子供たちがうれしそうに絵付けする様子を見せられてよかったよかった。

最後に団体の皆さんの顔合わせがありましたが、皆さまいろいろな意義を持ってこのイベントに臨んでくださっていることが分かってうれしくなりました。身近にこんなに魅力的な人たちが居るってことを知ることができただけでも私も子供たちもすてきな経験になったと思うのです。

こういう魅力的な場を設けてくださった先生、ありがとうございました。

本当はね、この先の高校生活に向かっていくみんなに最後に言葉を贈ろうと考えていたのですが、時間切れになっちゃったので、ここに掲載。(またかい、って思ってくれた方は私たちのブログの愛読者ですね。)

【贈る言葉】(今から2年前に娘の卒業式で伝えたかった言葉)

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皆さん、ご卒業おめでとうございます。

卒業証書を受け取って私たちの前で一礼していく姿を見ていると、その凛々しい姿にとても頼もしさを見ることができました。もう前に進むことを躊躇わない姿が映っていました。

皆さんはこれからこの中学校区を離れて、いろいろな方向へと将来への道を歩んでいきますね。

喜びを感じることもあれば、苦しさを感じることもあると思います。

そういういろいろな思いでいっぱいになった時にちょっと力を与えてくれるかもしれないって思えること、私が若い時に感じたことをひとつお話ししたいと思います。

今から21年前に公開された映画で「マトリックス」(知ってるかな?)という映画がありました。

当時は実写のドラゴンボール(知ってるかな?)のようだ、なんて言って楽しんで見ていた映画です。

なかなか面白いテーマの映画でしたので皆さんも機会がありましたら、見てみてくださいね。

その中の登場人物が主人公に自分の進む道を選択することを促すシーンがあるのですが、初めてそれを見た時にわたしは選択なんて当たり前のようにしていることだし、いまさら何を意識しなければいけないのだろう、とふと不思議に思ったのでした。

でもね、こうして年を重ねてみると、「選択する」ということがどういうことかなんとなく分かってきました。

私たちは毎日毎秒自分でも気づかないうちに一つの道を選びながら暮らしています。

朝起きて、トイレに行こうか、顔を洗おうか。

空が曇っているけれど傘を持っていこうか、どうしようか。

例えば、君が家の鍵を忘れたのに気が付いたけれど、その時に鞄を見返してれば、今日提出するプリントを忘れずに済んだかもしれない。忘れたために補講を受けることになったから、家に帰るのが遅くなって雨に打たれて、翌日から3日間風邪で寝込んでしまった。

こんなふうに、ひとつの選択が全く違う形で結果に表れてくることもあります。

例えば、(このお話は先生ごめんなさい。)高校2年の時に授業中にこっそり読んだ「ツルモク独身寮」というマンガがあったから、インテリアデザインという仕事があることを初めて知って、家具を作る道、家具をデザインする道に進むことができたのかもしれない。

ひとつの選択が大きな結果になることを意識していると自分に対して気持ちをしっかり持とうと思えるのです。

例えば、新しい学校に入って、同じ中学からの友人のクラスは、何人か知り合いがいて楽しそうに思えるのに、自分の周りは知らない人ばかりで、全然楽しめない。授業も思っていたよりも楽しくなくて、こんなことならもっと友達が多く行った学校に一緒に進んでいればよかった。この学校に決めたのも両親の勧めで入ったからで自分は特別ここじゃなくてもよかったのに。なんて思ったりするかもしれない。

でも、結果としてこの学校に行くことを選んだのは自分なので、このクラスの分け方になったのも自分がこの学校に入ったらそうなることもありえるのです。そういう場面に直面した時に自分が選択したのだから自分が選んだ結果に悔しがるだけではなく、自分で選んだなりの答えを探していこう、という前向きな気持ち、すなわち自分の中での責任が生まれていく、それが自分で選択することなのではないかなと思えるのです。

私が今ここにこうしていられるのも、そういう自分の気持ちに迷った時に、「でも、こういう考えでこの道を選んだのは自分だし、それならよくなるように考えないとね。」という気持ちを持ってこられたからかなと思っています。

みなさんがこれから進む道では、そういう思いで立ち止まる時が来ると思います。

そうなった時になぜ自分がこの道を進んできたのかを選んだ気持ちをはっきりと思える気持ちを持ちながら、たくましくしなやかに進んでいってほしいと思います。

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