文字盤のない時計

2021.10.15

キッチンを作らせて頂くことになったNさんから、時計を作ってほしいと相談を頂いたことがありました。
「時計ですか・・。」
仕事で時計なんて作ることがなかったし、街中すてきな時計やもちろん木でできた時計もある。
いまさら私たちが作ることでNさんにとってどういった魅力があるのか、ということがなかなか当時は分からなかったのです。

「時計といっても、あの時間の数字、文字盤が普通は入っているじゃないですか。それは要らないのです。」
「なるほど・・。」
当時キッチンのほかに円卓、丸い座面のキッチンスツールの製作を依頼頂いていたので、その素材や形状に合わせた時計が欲しかったことと、何よりも文字盤は要らないということが大切なことだったのでした。
「キッチンに立っていて、ふと顔を上げた時に長針と短針がどのあたりを指しているのかがなんとなく分かればいいんです。かえってきちんとした時間が分からなくてよいくらい。」
文字盤のない時計か・・。
当時はなんでだろうって思いながら、同じタモ材を用意してムーブメントを用意して、せめて何となく時間が分かるようにと、目の詰んだ柾目材で作らせて頂きました。(写真の時計は板目ですが・・。)

でも、今になって何となく分かってきました。
全部がひとめではっきり見えてしまうと、全部がはっきりわかるまで物事を進めないといけないという気持ちになったりします。
でも、あいまいなで見えにくい部分があると私たちは自分でイメージして考えるのですよね。
本を読んでいる時に思い描いた風景と、映画で見た時に現れた風景の違いのように。
そういうゆったりした時間の移ろいが、「ああ、そろそろ子どもたちが帰ってくる時間だな。」とか「そろそろ洗濯物取り込もうかしら」とか次を考えるための余裕が生まれるというか。
何というか言葉が足りなくてすみません。
そろそろって思える気持ちに、余裕があるのだなってあらためて思うのです。

日も暮れて鳥たちもだんだん森へ帰ってしまって虫たちが鳴き始めたから、そろそろ寝ないといけないよ。とか、そういう時間の見つめ方っていいなって。時間を見て過ごすのではなく、自分の時間を知って過ごすって。

そういう感じが大切だって思えるようになってきたのです。

エッセイ一覧に戻る